2015年9月18日金曜日

え?三菱鉛筆って三菱財閥出身のグループ会社じゃないんだ!

「三菱鉛筆」は三菱グループ? 立大・西谷教授の「不買運動」発言に批判殺到
   発端は、ジャーナリストの岩上安身氏が、西谷修教授の発言をツイートしたこと。岩上氏はツイッター(2015年9月17日付)に、

「昨日、西谷修教授は『(防衛産業を抱える)三菱のものは明日から鉛筆一本買わないことが大事!』と演説した。徹底した不買運動や落選運動など、これからの日常の運動こそが肝心」
と書き込んだ。

   岩上氏自身も、西谷教授の考えを支持していることがうかがえる。

   西谷教授は安保法案に反対の立場をとり、国会前でSEALDsとともにデモ活動に参加もしている。防衛産業の一角を占める「三菱グループ」の息がかかる商品を買わない、買いたくないといった考えを持っているのだろう。

   「鉛筆」を持ち出したのも、学生らになじみ深いことがあったかもしれない。

   とはいえ、三菱鉛筆は「三菱」を冠に、商標には「スリーダイヤ」を使ってはいるものの、三菱グループの一員ではない。有価証券報告書をみると、同社の大株主にある三菱のグループ企業は三菱UFJフィナンシャル・グループの名前が見られるだけで、三菱グループが株式を持ち合っているようなことはないことがわかる。人的関係もないようだ。
え!マジで?三菱鉛筆って三菱財閥出身のグループ会社じゃないの?知らなかったわ。
ちょっと調べてみるか。

まずは三菱グループの元となっている三菱財閥の説明から。
三菱財閥 - Wikipedia
三菱財閥(みつびしざいばつ)は、日本三大財閥の1つ。
土佐藩出身の岩崎弥太郎が創立した三菱商会を基盤に、明治政府の保護も得て海運業を独占。1893(明治26)年三菱合資会社を設立。これを持株会社として造船業・鉱業・鉄道・貿易などあらゆる分野に進出。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指令により解体された(財閥解体)。
財閥の起源[編集]
三菱財閥は、俗に三井、住友とともに三大財閥であるが、三井、住友が三百年以上の歴史を持つ旧家なのに対して、三菱は岩崎弥太郎が明治期の動乱に政商として、巨万の利益を得てその礎を築いたという違いがある。
なるほど。岩崎弥太郎って人が明治期に作った財閥なのね。

続いて三菱鉛筆について、こちらは会社の公式ページの沿革を見てみるか。
沿革 | 企業情報 | 三菱鉛筆株式会社
1887年 (明治20年)
眞崎仁六、「眞崎鉛筆製造所」を東京府南豊島郡内藤新宿一丁目一番地にて創業。
1901年 (明治34年)
逓信省(現 総務省)へ初めての国産鉛筆(局用1号・2号・3号)を納入。
1903年 (明治36年)
逓信省納入の3種の鉛筆を記念して、「三菱」ブランド登録(登録番号18865)。
こちらは明治期に眞崎仁六って人が作った鉛筆の会社みたいね。どっちも明治期に作られた
会社ということで、創業時期は近いけれども、創業者も事業内容もぜんぜん違うね。全くの別会社
じゃないか。

ということで、私も全く知らなかったので、西谷修教授に石を投げることはできないわけだけど、
まぁ、演説でディスるなら、その辺ちゃんと調べておいたほうがよかっただろうね。