2013年5月6日月曜日

村上春樹の新作はレビューのほうが面白い件・・

なんかもう・・村上春樹のノルウェイの森とか3回読んだけど何が言いたいのかさっぱり
わからず、数年後もう一度3回ぐらい読んだけどやっぱり何が言いたいのかわからない
という経験をした私ですが、村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
のレビューが糞長いけど面白いのでピックアップ




満を持して、村上春樹を読んでみました。めちゃ売れてるって評判だし、本屋でも下品なぐらい平積みされてるし、アイフォーンの新作かってぐらいの長蛇の列がテレビで流れていたので、あんまりウザイから読んでみたのです。
 読んでみてすぐに王様のブランチで本仮屋ユイカとかが「うーん・・・なんか難しいとこもあったんですけど・・・最後にすごい村上さんから明るい励ましのメッセージをもらったようで元気になりました!」ってぶりっ子然な感じでなんの生産性もないコメントをしているのがなんとなく目に浮かび・・・。その脇で谷原章介が「うんうんそこが村上作品の魅力だよねー」とスカした感じで頷いてる光景が脳裏によぎりました・・・。王様のブランチで褒められている小説はたいがいろくでもないという相場は決まっております。だから変な期待を持たずに読み終えることができました。あらかじめ言っておくと、ボクは村上作品のいい読者ではありません。ノルウェイの森も途中やめにしてるし、アウターダークも途中退場、まともに読んでるのは象の消滅っていう短編集と風の歌を聞けぐらいで、1973年のピンボールなんか朝おきたらベッドの中にかわいい双子のおんな子がいたー!って時点で床に叩きつけています。言わずもがなカートヴォネガットとかレイモンドカーヴゃーもフィッツジェラルドも読んでいないし、ちょっと周りがもてはやしているから読んでみよう。でもいまいち良さがワカランなぁぐらいのレベルなのです・・・。しかし「風の歌を聴け」をはじめて読んだときは衝撃をうけました。その主人公のあまりのオシャンティーぶりに全身から血の気が引きそうになったのを覚えております。だって・・・あれだぜ・・・。ジャズバーにいたら自然と女が寄ってきて、そんで全然そんな気ないのに、ちょっと会話してたらもう部屋に連れ込めてるんだぜ? そんでワインのコルクを果物ナイフの先っぽでこじあけようとしてんだぜ? 果物ナイフでだぜ!? 「ビーフシチューは好き?」とか女に聞きながらだぜ・・・。コルク抜きとかつかわないんだぜ・・・。なんか石田純一が女の前でりんごを果物ナイフで切ってそのままナイフにのせて食べるって言ってたのと同じレベルの、スカシっぷり・・・じゃね?ジャズのレコードがかかってるムーディな部屋でだぜ・・・。しかもそのムードのまま、しっぽり、やれちゃうんだぜ。しかもやってる最中に、「あなたのポコチンはレーゾンディートルね」とか言われちゃうんだぜ? なにそれ? レーゾンディートルってなにw? クソ意味不明なんですけどw ググる気にもなんないんだけど・・・。仮性包茎のこと? 
 ここでノックアウトされるものはハルキニストになり、ここで「ちっ」と舌打ちするものはアンチ村上に転ずる、と言われております。ボクは、舌打ちするほうだったのでアンチとは言わないまでも、そんなオシャンティーな村上作品に対し、どことなく嫌悪感を抱いておりました。齋藤孝氏が「これは僕のなめた孤独とは違う」と言っておったのが、大多数のアンチ村上の意見なのではないのでしょうか。
 さて、じゃあ本作は主人公、多崎つくるくんはどうかというと、これもまた案の定、孤独です。まず冒頭二ページでこんなんです。

 ―――用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった―――
 
 ぼっちです。これは共感がもてます。大学生なので深刻です。これは辛い自体です。しかし、いちいち言い方がおおげさなのが玉にキズです。暗い淵が地球の芯にまでって・・・いくらなんでも深すぎです・・・。しかも「渦巻く虚無」とか「深い沈黙」とか「生の欠落」とかいちいち出てくる単語が思春期こじらせた中学生が書いたブログに出てくる言いまわしみたいでイカ臭いです。「深い沈黙」が聞こえる・・・ってのも意味がわかりません。
 しかしそんな瑣末なことにいちいち目くじらを立ててもしょうがないでしょう。大事なのはなぜ彼がぼっちになったか?ということです。そこも読み始めてすぐに説明されます。高校時代に仲の良かった五人組と、突然「おまえとは縁を切る」と言われたらしいのです。 それ以来、人間不信に陥り、他人とうまく関係を築けなくなったということがわかってきます。
 と、ここまで読んでいくと、「泣けてくるほどのぼっち小説ではないか!」と思ってしまいますね。
 
 しかし、すぐにその予想は鼻先でピシャっとやられます・・・。読む進めていくうちに、「あ、これはおいらとは違う」といつもの村上カラーが炸裂してきます。20ページぐらいで主人公は恵比寿のバーで女と喋っています。もうどこかで見た光景です。しかもそのバーに入った理由が「とりあえずチーズかナッツでもつまもうと思ったから」です。こんな軽い理由で恵比寿のバーに入れる人間をボクは同じ血が通っているとは思えません。しかも、会話もこんな感じです。

 つくる「それが存在し、存続すること自体がひとつの目的だった・・・」
    「たぶん・・・」
  女 「宇宙と同じように?」
 つくる「宇宙のことはよく知らない」
    「でもそのときの僕らには、それがすごく大事なことに思えたんだ。僕らのあいだに生じた特別なケミストリーを大事に譲っていくこと。風の中でマッチの火を消さないみたいに」
  女 「ケミストリー?」
 つくる「そこにたまたま生まれた場の力。二度と再現することのないもの」
  女 「ビッグバンみたいに?」
 つくる「ビックバンのこともよく知らない」

 
 「け、け、け、け、け、ケミストリー・・・・!」「い、いま、なんつったこいつ・・・!?」「け、け、ケミストリー!?!?」「ま、まじか・・・そんな尻こそばゆい単語・・・始めて聞いたんだけど・・・なにそれ・・・すっごいむずがゆいんだけど」「背中ぞわぁってするんだけど・・・すごい・・・変な汗出てきたよなんか・・・」「しかも、なんかケミストリーって言ったあとで、風の中でマッチの火をどうたらこうたらって、すごい恥ずかしい比喩表現上乗せしちゃってるよ・・・。恥の上塗りだろこれ・・・なんだよケミストリーってこええよ」「こんなやつバーで隣にいたらタコ殴りにしてるよ・・・」「しかもなんかあれだよ・・・女の子がせっかく『それは宇宙なのかなぁ?』とか『ビックバンみたいな感じ?』って必死で合いの手を差し伸べてくれてんのに全部『それは知らない』の一点張りだよ・・・。会話合わせる気ねぇよこいつ・・・どんだけ宇宙ネタ嫌いなんだよ・・・・。こんなやつ絶対モテねぇよ・・・。

 その後も頻繁に「ケミストリー」とつぶやくつくるくん。ケミストリー押しがすごいです。ところがモテてしまいます。なぜか、このつくるくん。二十歳で童貞だったわりには、女の子とはしっぽりしけこめてしまうのです。しかもその調子が、いつもの村上節です。心に大きな空洞をかかえたまま、他人に心を開いてないのにもかかわらず、ちゃっかり女は寄ってくる。いつものやつです。というか村上春樹の小説のキャラクターってこんなんばっかりじゃね? しかも童貞喪失のときに―――初めての体験だったが、それにしては何もかもがスムーズに運んだ。最初から最後まで戸惑うこともなく、気後れすることもなかった―――p132って、こんな都合のよろしい童貞っていらっしゃるかしら? 「村上さんの登場人物は避妊しないんですか?」というファンの質問に対して「うーん・・・いちいちゴムつけるとこ書くのめんどくさいでしょ」みたいな発言をしていたのを思い出しましたが、いくらめんどくさいからといって童貞をこんな女のあつかいに長けたサオ師みたいに描くのはやめていただきたい。あまりにもリアリティをシカトしすぎです。童貞を舐めないでいただきたい。「ヤリチンヤリチン」とずいぶん批判されてきたのに業を煮やしてか、やっとこちら側に擦り寄ってきたかと思いましたが・・・またこれです・・・やってることはやっぱりヤリチンです。

 いろんなところに目をつぶってみても開始何ページ目かでボクはあまりのオシャンティーぶりに卒倒しそうになりかけました・・・・。嫉妬とはーーー世界で最も絶望的な牢獄だったーーーとか、人の心は夜の鳥なのだーーとか、彼は荒ぶれた闇の中で消え入るように息を引き取り、森の小さく開けた場所に埋められた。人々がまだ深い眠りについている夜明け前の時刻に、こっそり密やかに。墓標もなくーーとかいちいち目を覆いたくなるような、ゴミ箱からほのかに漂ってくるようなスペルマ臭い言い回しとも必死で戦いました。

 ところが、多崎つくるくんひとりならまだしも、つくるくんの友人がこれまたひどい・・・とくにアカはひどい。女に「友達に嫌われた理由を探してみたら」と言われたので、十年ぶりにつくるくんは昔の友達のところへ尋ねるのですが、このアカってやつが、なんというか、もういろいろこじらせちゃってます。ビジネスセミナーのコミッショナーなんですけどね。もうなんかビジネスセミナーのコミッショナーだからなのかあれなのか、身のこなし、言葉の節々から、自己陶酔感がただよってるんですよ。もちろん応対するのは昔の友人(つくる)ですが、それにしても自分大好きオーラでまくってます。だってこれですぜ。

 アカ語録。

 アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」

 「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」

 アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」

 
 福山雅治なら許されます。ガリレオのときの雅治なら許されます。しかし、それ意外は、断じて許されません。無論。こういうことを言って、「おめーいてーよなんだよそれ。鋭いサーブだってなんだよw」「なにが多崎つくるくんにアドヴァンテージだよw」なんていう人間はひとりもおりません。自然なのです。「封を切ってしまった賞品の交換はできない」とか「まるで航海している船の甲板から、突然ひとりで夜の海に放り出されたみたいな気分だ」とか村上小説の登場人物は総じて、もういちいちなにかしゃべるときは、気の利いたこと、おしゃれな比喩を言わないとすまない性格だと肝に銘じたほうがよさそうです。

 しかしここまでこの書評を読んできて、話の内容がいまいち見えないという人も多いでしょう。ものすごくざっくばらんにネタバレしますと、多崎つくるくんが友達と再会を通して知った自分が絶好された理由とは「シロというおなじ五人グループの女の子をレイプしたから」というとんでもないものでした。つまりすごく雑に流れをまとめるとこうなります。
 オス!おいら多崎つくる!なんかよくわがんねーけど、すげえいきなり友達から絶好されちまった!――――→なんかそれがきっかけで自信もなくしたし、人間不信になっちまった!――→でも職場で知り合った女(沙羅)がすごいいい女で、結婚してーって思った!――→でもなんか女から「友達に再会してみたら」って言われたんで会ってみることにした!ーー→友達に何年かぶりに会って理由聞いたら、おれが勝手に友達(シロ)をレイプしたことになってた!――→なんかもっとよく聞いてみたら、シロ死んでて(好きだったのにショック)、しかもちょっとメンヘラだった!!!――→外国に住んでる友達に聞いたら、なんかメンヘラだったシロを救うためにやむなくついた嘘だってことがわかってきた!――→怒ろうかと思ったけど、すごい謝られたし、なんかすごい「ずっと好きだった」とか「自信を持ってー!」って言われたから「うん、おで頑張る!」ってなった!――――でも沙羅浮気してた・・・。沙羅に振られたらたぶんおいら死んじゃう・・・電話してみたけど・・・反応よわい・・・おいらを選んでくれんのかなー・・・うーん、やきもき・・・。―――→完!!!

 うーん・・・この物語になにを感じればいいのでしょうか・・・。読んでしばらく考えてみましたが、なにひとつ感想が浮かんできませんな・・・。作品にちりばめられたメッセージ「あの頃の思いがどこかに消えるわけじゃない」とか「自信を持ってー」「あなたはあなたのままでいいのよー」とかも、なんというか鼻息で一掃したくなるようなしろものだし。なにが面白いんだろうと思ってアマゾンで星5のレビューとか読んでみたら、けっこう「自信をもらいました!」っていう感想が多くありまして、意外に多崎つくるという主人公に感情移入している人が多いことに気づくのです。個性のない、なんのとりえもない、そんで自信がもてない、自己評価が異様に低い、こういう人は世のなかにたくさんいますし、この小説を読んで主人公に同化して「よっしゃ、なんか自信出てきたわ」ってなる人は、それはもちろん悪いとは言いませんが、そういう人はもともとかなり健康なお方なのではないのかと思いました。生きづらさを感じている若者へのエールって書いてる人もいたけど・・・いやーすれてないですなみなさん・・・。まさに生きづらさを感じている者の代表として言わせてもらいますとボクは読んでるあいだ、終始、「多崎つくると俺は違うからなー」と思っておりました。だってあれだぜ。ラストで恋人からの電話を待ってる時にオリーブグリーンのバスローズきてカティーサークのグラス傾けながらウィスキーの香りを味わってんだぜ? オリーブグリーンってクソ緑だぜ? 趣味悪くね? そんで「孤独だ・・・・」とかつぶやいてんだぜ? 石田純一なの? 孤独ってこんなオシャレだっけ? こんなやつに感情移入なんかできませんわな・・・。しかもこの小説の着地点も、シロというミューズを失った主人公が沙羅という新しいミューズと出会うという、「けっきょく恋愛だよねー」としか言い様がないイラッとくる結論だし。なぜイラッとくるかといえば、「それができない人はどうするの?」と読んでいて頭に疑問符が湧いたからであります。これを救済とか、救いととるなら、こんな残酷な救いはありませんな。沙羅という見ただけでズキューンとなる女に物にしないと自信を取り戻せないなんて・・・。そんな女に出会えないのが大多数の人生なのに・・・。なんでこれをよしとしているんだろうって思ってアマゾンのレビュー読んでたら、ひとりぼっちな男が救済されて元気出すにはやはり沙羅のようないたれりつくせりな女性に手伝ってもらわないと、、というかこんな女性に救済されたいなぁ、、とくたびれ果てた男どもが勝手に妄想するのが沙羅なんです。って書いてあって、あぁなるほどと納得いたしました。これはつまり、孤独なサラリーマンの妄想小説なのですな・・・。いやー・・・そんなイカ臭い妄想には付き合っていられません・・・。

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